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韓国の食文化について、伝統から現代の習慣・行事にいたるまで、1テーマずつ読み解いていきます。
韓国式中国料理の双璧をなす、チャジャンミョン(
)とチャンポン(
)。
韓国式チャジャンミョンは、粗く刻んだ玉ねぎやじゃがいも、
豚肉などを油で炒めて甘味噌「チュンジャン(
・春醤)」で味つけしたソースを、麺にかけて、きゅうりの細切りをのせたもの。
チュンジャンが味のベースですが、塩、こしょう、砂糖、醤油、酒、オイスターソース、ごま油なども入っていて、とろりと甘く独特な風味が特徴です。
一方の韓国式チャンポンは、
鶏ガラスープに炒めた野菜と海老、いか、あさりなどの海鮮や豚肉などを入れ、唐辛子で真っ赤に仕上げた汁麺。
海鮮を意味する「ヘムル」(
)をつけて、「ヘムルチャンポン」(
)とも呼ばれます。
韓国のチャジャンミョンとチャンポンは、もたらされた時代や韓国ナイズされ定着していった背景など、共通する部分の非常に多い料理です。
■ 中国料理の流入と普及
近代以降の朝鮮半島への中国料理の流入と普及は、19世紀末から中国(主に山東省)から渡ってきた人々の歴史と重なります。
朝鮮半島への中国人の移住は、中国の国共内戦と第二次世界大戦を経て1970年代ごろまで続きましたが、韓国政府が在韓華僑の土地所有や商業活動、国籍取得を厳しく制限したため、彼らの多くは仁川港での港湾労働やソウルでの零細飲食業に従事せざるを得ませんでした。
この時期、韓国で普及していった華僑の食べ物は、
チャジャンミョンやチャンポンのほか、マンドゥ(
:餃子類)、ホットッ(
:蜜入り揚げパン)、チンパン(
:蒸しパン)などがあります。どれもわずかな元手と設備でできる庶民的な食べ物でした。
植民地から解放された後も朝鮮半島は混乱と食糧不足が続いており、
韓国政府がアメリカから供給される安価な小麦粉で作る粉食を奨励したことが、
これらの食べ物の普及につながりました。
1960〜70年代も、
韓国に残った華僑は仁川やソウルで「チュングッチプ」(
:中国家)と呼ばれる中華料理店を細々と営み続け、
安くて美味しくボリュームのあるチュングッチプの料理は、復興期の韓国において庶民の人気を確実に得ていきました。
■ 工場生産による爆発的普及
チャジャンミョンとチャンポンは、ともに麺料理です。この麺はもともと、ラーメン(拉麺)の「拉」の字義どおり、小麦粉の生地を両手で少しずつ引き延ばし、打ち粉をした台に叩きつけるようにして何重にも手繰り寄せては細長く延ばした「手延べ麺」でした。
しかし、この手延べ麺を作るのには長年の経験と体力がいるため、誰にでも簡単に作れるものではありません。チャジャンミョンやチャンポンが、チュングッチプの料理から次第にファストフードやインスタント食品として商品開発されていく中で、手軽に扱える生麺が開発され、製麺工場で作られた生麺が普及していきました。
また、チャジャンミョンの味付けについても、もともとは中国の調味料である甜麺醤[ティェンミェンジャン]がベースとなっていましたが、甜麺醤にカラメルなどを加えたチャジャンミョン用の黒い甘味噌「チュンジャン」が華僑の食品会社によって開発されると、チュングッチプでなくても誰でもが手軽にチャジャンミョンを作れるようになり、チャジャンミョンが爆発的に普及していきました。
■ 韓国式中国料理の広がり
山東省の中国人によって朝鮮半島にもたらされ、韓国の人々に愛され韓国ナイズされてすっかり定着したチャジャンミョンとチャンポン。
1980年代以降は、在韓華僑が自由な経済活動や子どもの教育に適した台湾などへ多く移り住み、それに代わって韓国人による中国料理店が増加するなど、韓国内での情勢変化が見られます。
また、国外においても、韓国人の海外渡航自由化に伴ってチャジャンミョンやチャンポンが日本、ハワイ、アメリカなどへ進出したり、中国大陸へ逆輸出されるなど、韓国式中国料理の国外への拡散も進んでいます。
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