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韓国の食文化について、伝統から現代の習慣・行事にいたるまで、1テーマずつ読み解いていきます。
韓国で、
今や「寒風吹けば日本酒におでん」という感覚が通じるほど韓国庶民に定着した食べ物、「オデン」(
)。
韓国の街角の屋台で、あるいは居酒屋で、
老若男女問わず愛されている「オデン」は、薄く細長いさつま揚げをクネクネと長い串に刺して
「おでん汁」で煮込んだもの。そのルーツは、言うまでもなく日本の「おでん」。
しかし現在、日本語の「おでん」が料理名であるのに対して
、韓国語の「オデン」は料理名というよりもむしろ「さつま揚げ」あるいは「練りもの」一般をさし、料理名としては「オデン湯[タン]」(
:湯はスープ、汁ものの意味)あるいは 「オデンチョンゴル」(
:チョンゴルは鍋の意味)という造語が人口に膾炙するほどです。
■韓国のオデン料理
韓国の「オデン」の一般的なイメージは、上述のとおり、長い串に刺さった薄く細長いさつま揚げの「おでん」。
屋台などでは、小皿で添えられた薬味醤油をつけて食べたり、コップに注がれただ「おでん汁」を一緒に飲んだりします。
汁には、刻み葱や唐辛子が入っていることもあります。串を意味する「コチ」(
)
をつけて、「コチオデン」(
)
あるいは「オデンコチ」(
)
と言うこともあります。
また、練りものとしての「オデン」を使って、次のような料理が生まれました。
・オデンチョンゴル(
)
訳して「おでん鍋」。上述のとおり、
いわゆる「おでん」のことですが、具の種類は一般に少なく、薄いさつま揚げ1種類か、
せいぜい2〜3種類。日本のようないろいろな具を入れたものは、特に「モドゥムオデン」(
:モドゥムは各種の意味)と呼ばれます。
・オデンポックム(
)
さつま揚げの炒めもの。
さつま揚げをにんじんや玉葱、ピーマン、あるいは小魚などとともに甘辛く炒めたもの。さつま揚げのほかに、
竹輪などを使うこともあります。オデンチョリム(
:チョリムは煮ものの意味)と言うこともあります。
・メウンオデン(
)
さつま揚げの甘辛炒め。別名「パルガンオデン」(
:パルガンは赤い意味)。
串に刺したさつま揚げを、トッポッキのような甘辛い真っ赤なソースで炒め煮したもの。
・ティギムオデン(
)
さつま揚げの揚げもの。重複しているようですが、練りものを揚げたり、鉄板に多めの油を敷いて焼いたりしたもの。
■オデンの歴史
朝鮮半島に日本の「おでん」がもたらされ「オデン」として普及・定着していった足跡をたどると、19世紀末に遡ることができます。
李氏朝鮮王朝時代の末期、それまで中国を宗主国とする朝貢関係以外、外国との交易を持っていなかった朝鮮に対し、開港を迫る日本の圧力が強まる中で、1876年に日朝修好条規が締結されるや、朝鮮半島の釜山、仁川、元山の三港が開港され、それ以降さまざまな日本の文物が朝鮮半島へ流入しました。そのうちのひとつ、日本酒と対になって朝鮮半島へもたらされ、人々の人気を得て急速に広まっていった食べものが「おでん」です。
1908年に朝鮮半島で初めて、釜山に日本のかまぼこ工場が操業を始めたのに続き、1911年には、当時の京城(現ソウル)にもかまぼこ工場ができました。。
日本植民地化の朝鮮で刊行されていた「朝鮮日報」に1931年ごろ連載されていた廉想渉[ヨムサンソプ]の小説「三代」には、酒色に溺れる人物描写の中で日本酒とともに「オデン」がメインモチーフとして何度も登場します。
また、同じく朝鮮の「毎日新聞」1939年9月22日号には、「ニュースデパート」なるコラムに、「京城駅ホームにおでん屋」という次のような記事が出ています(原文は朝鮮語)。
「三伏【※注】の半島旅行者にオアシスとの好評を得ていた、京城駅ホームのビール・スタンドバーでは、秋風が吹き始めたこの20日から、ビールに代わって酒の月桂冠や白鶴とおでん等の販売を始めた。おでん一皿20銭、酒一本35銭、うどん一杯12銭という安値で、夜更けの旅行者がしばし立ち寄っては熱いうどんに舌鼓を打ち、早くも人気を呼び客足が絶えない」(【※注】三伏とは6月下旬〜8月上旬の猛暑の時季をさす)
当時の「オデン」は、日本酒の肴という明確なイメージがある一方で、高級遊興場の一品料理という位置づけもあったようです。同じく、植民地化の朝鮮で刊行されていた雑誌『三千里』第10号(1935年)では、座談会記事の中で、今日のソウル奨忠洞に当代の金持ちが足しげく通うオデン屋があったことにふれ、作家・李瑞求[イソグ]の「そこへ行ってはオデン一皿で10円、20円と払ってくる」という発言が掲載されています。冷麺一杯が15銭という時代の話です。
そして1945年、日本の敗戦により朝鮮が解放された後も、「オデン」は変わらず朝鮮半島の人々から愛され続け、現在に至ります。
植民地統治時代の名残で多用されていた日本語の多くは、解放後、年月をかけて韓国語に置き換えられていきました。
「オデン」も然りで、「生鮮[センソン]ムッ」(
)、「魚[オ]ムッ」(
)
という新しい韓国語が作られ、政策的に普及していきました。しかし、その一方で「オデン」
という日本語が、100年にもわたって朝鮮半島に根を下ろした食文化の歴史とともに、今も生きながらえていることも明白な事実です。
「
」(オデン) はもはや日本語ではなく、外来韓国語と言うことができましょう。
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